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宇都宮餃子、正嗣(まさし)の淡い記憶

宇都宮が餃子の街だとテレビを中心に言われ始めたのは何年前か記憶してないんですが、確かに家で餃子をよく包んでいた昭和の時代を思い返します。基本は自宅で食べるものでした。

上の写真は、正嗣(まさし)。私たちの世代(1970年頃生まれ)は、おやつ代わりに1枚160円(当時)の餃子をやまほど食べていたのを記憶しています。

確かにソウルフードみたいな位置づけで、駅前とか路面ではなく住宅街にある、あくまで地域人がちょっと食べに来たりお土産を買うお店です。ご飯もビールもなし。焼きと水(ゆで)のみでした。「焼き2、水1」みたいにオーダー。

ところがテレビ番組が餃子像を作り、スーパーでの売り上げと、店頭販売をごっちゃにした餃子消費ランキング(スーパー売り上げのみ)が注目されるようになり、やたらと駅前や路面に新興餃子屋が出てきました。

昔からある餃子屋というのは宇都宮市民が記憶するのは3ブランドくらいしかなかったんじゃないでしょうか。

その後の喧伝される宇都宮餃子ブームと関わりを持たなかったのが「正嗣(まさし)」でした。私たちの世代はファンが多かったので、安心していつでも食べにいけたのですが、それもつかの間、口コミで存在がばれて行列が。

駅前の店じゃないので駐車場を拡大しないと対応できず、最も人気だった某店舗は拡大を重ねるも、不誠実な客の行為によってトラブル多発。ついに人気店のオーナーは亡くなってしまい、閉店に追い込まれます。

今の宇都宮餃子シーンは、週末ともなればどんなお店にも行列ができるなど、最高潮になっていると思います。基本的に、駅から市街地中心の新しい流れです。味もどんどん美味しくなっていて、ジモティ的にも時々食べたくなりますね。

ただ、「正嗣(まさし)」の思い出だけは忘れたくありません。あの値段、あの地域の雰囲気、亡くなったおっちゃんの表情、個人的にこれが宇都宮餃子の顔だと思えるんです。

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